「エペヴィル24時間走」を走る
1999年5月22日から23日にかけて、フランスのパリから北に120キロに位置するエペヴィルという小さな町で開催された『第14回エペヴィル24時間走大会』に参加した。
参加選手は52名、うち日本人は私と在仏日本人の有田せいぎさんの二人でした。そもそも有田さんの紹介でこの大会に参加したのです。どんなウルトラランナーが参加するのか、楽しみのひとつでした。少なくとも日本では『エペヴィル24時間走大会』のことを知っている方は少ないでしょう。
本格的な24時間走(公式公認大会)に参加するのは初めてで、大会の雰囲気に慣れるのにちょっと遅れたような感じがした。
スタートは大会本部の体育館の中。パソコンの画面に20秒前、10秒前と表示されて、午後4時、スターターのピストルでスタート。コースはフランスののどかな田園の中を一周する2.7963キロの周回コース。2キロ過ぎに400メートルの上り坂がある。
スタート直後、二人の選手が飛び出していくのが見えたが、特に追いかけることはせず“マイペースで”と、有田さんとともに走る。一周2.8キロという中途半端な距離なので、ペースを掴むのが難しい。最初の1周が13分29秒。14分台前半のペースを設定していたのだが、スタートからちょっと速いペースだった。そして、このまま13分台前半の速いペースを維持してしまった。これが後半、ペースダウンを招く大きな要因になるとはこの時、知る由もなかった。
大会運営は体育館を中心に、体育館の中を走り抜け、出口にはエイドステーションがある。また1時間ごとの途中経過がスライドで写し出されていて、常に体育館の中を走り抜けるので、写し出された途中経過で、現在何周で順位は何位であるかなど、とてもわかりやすかった。私にとって全てが初めての体験でした。
2時間近く走った頃、トップを走るブラジルのサントス選手に抜かれてしまった。我々もいいペースで走っているが、彼はもっとハイペースで走り、その走り方から見てあまり長続きしないように感じた。しかし、その後9時間、サントスは自分の世界を創っていた。
2周目以降、エイドステーションでこまめに補給する。主にコカ・コーラ、水、炭酸水、オレンジ、レモンなどを口にした。またスペシャルエイドとして、体育館の入口手前に飲み物、若干の食べ物(カップ麺、チョコバー、梅干)を用意した。
真夜中、有田さんの応援に来たパリの在仏北海道人会ポプラ会の小林春二さんから差し入れがあり、食べたおにぎりがとてもおいしかった。
初めてのサポートで参加した渡辺真紀さんの応援もなかなかで、眠そうな顔をして頑張って起きて、応援してくれた。疲れた身体には『ガンバレ』の暖かい声援を掛けられることが何より嬉しく、疲れを癒すことが出来る。
夜も明けて、あたりが明るくなってきた頃、身体も疲れがピークに達した。今年のウルトラレースでの特徴だった160キロ、15時間以降にピークがくることがわかった。すぐに気が付き、休めば早く回復するのにズルズルと引きずり、時間だけ費やしてしまった。
結局2時間、無駄な時間を浪費する。20分仮眠して、すっきり目が覚め、元の身体に近いくらい疲れが取れたような気がした。ゆっくりと走り出して、静かにエンジンがかかるように自然とペースを上げて、2位が確定するまで精神を集中させる。
20時間を過ぎて、残りの時間が気になりだした頃、ラスト二時間は“歩こう”と心に決め、自分の走った道、周回コースをゆっくり歩きながら改めて見ることが出来た。後半の400メートルの上り坂は調子のいい時にはさほど気にならないが、歩いてみるとかなりきつい上り坂であった。
コース上、唯一、少年がエイドをしているところがあったので、挨拶しようとしたのですが、少年はすでにいなかった。ちょっと寂しさが残るが、最後の上り坂。24時間走れたことに感謝し、またいつか必ずエペヴィルを訪れようと心に決めた。
ゴールの体育館前、24時間でちょうど体育館で終わるように、選手がかたまり時間調整をしている。それぞれの健闘を称え合い握手する者、涙ぐむ者、写真を撮る者など、最高の情景というか、ランナーの顔に笑みがこぼれていて、とてもすばらしかった。
私自身、疲れていたが、最後は本当に楽しんで走ったような気がする。24時間走レースの厳しさ、これが本当のレースなんだと、自分なりに感じるものがあった。
24時間走終了の合図。“やったぁー!”とひとりで喜んでしまった。土地柄か、皆、人にやさしく、アットホームな雰囲気、とても走りやすいコース、この上ない持て成し、本当に感無量である。
24時間で83周、232.093キロ。第2位。自分では大変満足している。24時間走で250キロ以上の走りが見えてきたような気がする。また機会をつくり、是非チャレンジしたいと思う。
レース後の表彰式では町中の人々が集まったのではないかと思うほど、人また人の体育館であった。歩くたびに握手を求められたり、サイン攻めである。子どもたちのキラキラ輝くような目に思わず笑みがこぼれてしまった。
1999年第14回エペヴィル24時間走大会。
さすが長年、24時間走大会を開催している伝統がよくわかりました。我々日本人の待遇はよく、特に宿泊費や食事代など、主催者に負担してもらうとは思ってもいませんでした。
日本でも『エペヴィル24時間走大会』のように、いろいろな人、ランナーだけではなく多くの人が参加出来るようなウルトラマラソンのレースの開催を希望したい。今しばらくは本格的な24時間走の大会が開催されることを祈るばかりである。それまでは海外へ遠征して、ひとつでも上を目指して走りたいと思っている。
※1999帰国後の投稿記事より
【写真集】
99_Eppeville24H
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